がんばれって言葉は苦しい状況にいる人たちには遠い言葉。
かわいそうと思うのは傲慢なこと。
すこしでも深くきもちを共有できたらと思っている。でもなかなか難しい。
人の気持ちを100%理解しようなんて、できっこない。
でも近づこうとすることはできる。
ぼくには帰る家がある。
仕事もあるし、被災地にいっても、戻れる場所がある。
偽善と思いながらやってる。
帰る場所があるやつが何してるんだって被災地の方には思われているかもしれない。
でも、今はそう思われてもいいじゃんと思う。
だって、家も家族も失って、希望ってものがなくなったら、
どんなに強い人だってそんなふうに思うと思う。
だから、いまはそういう風に思われても、それでも、やれることはやっていきたい。
水平線までがれきが続いているのをみたら、いったいどこから復興すればいいんだよって思うよ。
すぐ傍らに人が埋まっているようなところで、電柱が、車が、鉄橋が、
泥にまみれて散乱しているところで、どっから手をつければいいんだろうって思うよ。
あの風景には希望はない。
写真は切り取られた風景だけど、実際にはそれが広大に広がっているんだもの。
そして原発の不安。がんばってって言われても、なにから頑張ればいいのか...。
でも人間の強さも随所で感じた。道路の復旧もライフラインの回復も、想像を超えた
スピードで進んでいるし(場所によるけど)、復興への強い思いを持つ人もいれば、
まわりに笑顔をふりまいている人もいた。
学校もはじまった。被災のレベルは人それぞれ。
人の性格もポジティブな人もいればネガティブなひともいる。
メディアの報道、ツイッターなどから得られる情報、そしてぼくがいま
書いていることも含めて、情報はあくまでもその時点、その場所でのものだということ。
状況は刻々変わっている。
昨日必要とされていた物資も今日はもういらなかったりする。
そして被災地は不思議なもので、津波で壊滅的な打撃をうけた地域と、
普通に家が残っていて普通に生活できているエリアが、すぐとなりあって存在していたりする。
地形の問題なのか運なのか、それはよくわからないけれど、
同じ被災地でも境遇が人によって全く違う。
だから被災した方々の中には、普通にがんばれって言葉が必要な人もいるし、
助けを必要としている人もいるんです。ほんとに人それぞれなんです。
だから、だれか一部の人の言葉が決してみんなの言葉ではないってことも
意識していたほうがいいと思う。
今回自分の仕事で野外音楽フェス運営をするにあたって、
たくさんの飲食出店の方とつながりができた。
そこで、ダメもとで福島や宮城での被災地支援についてその方たちに
協力を求めたところ、ある方たちは、すでに自分たちのケータリング車で
被災地にあたたかい食事を配りにいっているという。
そして、食材やケータリング車のチャーター費用など、こちらでお支払い
しようと考えていたお金についても一切いらないと。
どこかで誰かが自分たちを必要としているのなら、そういう情報をもっと提供してくださいと。
いまは支援者同士の横のつながりが大切なんですと、そう言ってくれた。
野外フェスの自粛が相次ぎ、ケータリング事業のみなさんが困っていると
いうことを聞いていた中で、頭が下がる思いだった。
今たくさんの人たちとぼくも連携をとらせていただいている。
ぼくは本当にラッキーで、弁護士の先生をはじめ、たくさんの方々が、ぼくに
お手伝いのできる場所を提供してくださっている。
おまけに会社のみんなが平日でも僕が自由にうごけるように、
日常の仕事をしっかりやってくれている。
感謝です。本当にありがとう。
支援には直接的なものと間接的なものがある。
そして、今必要な支援と中長期的な支援がある。どれも同じく大切。
そして、いつもの日常をしっかりまわしていくことも同じく大切なことだと強く思う。
南相馬市の海沿いのがれきの中で、ひとすじの虹がでていた。
それがいちばん心に残っている風景。
虹をみて、ああきれいだなあと心から思えるときが早くきますように。
だって、早くさかな釣りにも行きたいし、ライブやクラブにも行きたいし、
おいしいものいっぱい食べたいし!
結局、ぼくはただ早く安心して遊びにいきたいだけなんです!
原発の不安がすこしでも早くなくなることを祈ります。
それから地球に言いたいんだけど、もう余震は十分なのでそろそろやめに
しませんか。
どうかよろしくおねがいします。